偽りの食卓

原作者
小雨
絵師
小雨
声優
映像監督
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    あるところに、とても仲の良い家族がおりました。
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    お母さんのメラニーもお父さんも、娘のベロニカを心から愛していました。そして、ベロニカも二人のことを愛していました。
    彼らの食卓は、いつも笑顔と幸せで満ちていました。
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    今日は母の日です。ベロニカはお母さんのために夕食を作り、そして、カーネーションの花を贈りました。
    「…お母さん、いつもありがとう」
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    その夜、幸せいっぱいで眠りについたベロニカでしたが、しかし彼女は、とてもとても恐ろしい夢にうなされたのです。
    「人を殺すだけじゃ飽き足らず、そんな家族ごっこまでやっているのか。どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだ」
    そんなことを、頭から血を流す誰かに言われる夢でした。
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    自分の叫び声で目を覚ますと、ベロニカの頬を涙がとめどなく伝っており、声を聞いて駆けつけたお母さんが背中を優しくさすってくれました。
    「ベロニカ、一体何があったの…?」
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    「お母さん…いえ、メラニー先生……」
    「私は、すべてを思い出してしまいました…」
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    あるところに、ベロニカという少女がいました。
    幼い頃にお父さんがいなくなってから、彼女はずっとお母さんと二人で暮らしていました。
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    ある年の母の日も、ベロニカはお母さんにカーネーションの花を贈りました。
    お母さんが「ありがとう」と言って花を受け取ってくれたので、ベロニカはとても嬉しくなりました。
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    その日の夜、誰かのすすり泣く声が聞こえて、ベロニカは目を覚ましました。
    「ごめんなさい、ごめんなさい…」
    それは、お母さんの声でした。
    ベロニカは心配になって、こっそりとお母さんの様子を眺めていました。
    「神様…あの子の愛し方が、私にはどうしてもわかりません……」
    まだ幼かったベロニカにも、「あの子」が誰を指すのか、それははっきりとわかりました。
    彼女は、ただ、その場に立ち尽くすことしかできませんでした。
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    あの夜から長い月日が経つと、ベロニカは家に帰ることがなくなり、 毎日仲間と集まっては煙草をくゆらせていました。
    いつか、夜遅く帰ってきたベロニカに、お母さんがとても悲しそうな顔でこう言ってきたことがありました。
    「昔はあんなにいい子だったのに、どうしてこんな…」
    「…あなたはいつだって私と向き合おうとしてくれなかった。できることなら、関わりたくないとさえ思っているでしょう。だからだよ」
    それが、二人の最後の会話でした。
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    事件の日も、ベロニカはいつもの仲間と集まっていました。
    「あたし、最近お金なくってさあ」
    「だったら、久々にやるか」
    仲間内でそんな会話が交わされ、ベロニカには後ろめたい気持ちがありましたが、彼女が止める間もなく、それは実行にうつされることとなりました。
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    計画は、酔っ払った人間の財布を盗む、それだけの単純なものでした。
    しかし、事故は起こりました。
    事件の被害者が想定していたよりも強く抵抗し、その最中、壁に強く頭をぶつけてぴくりとも動かなくなってしまったのです。
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    仲間は一目散にどこかへと逃げてしまい、ベロニカは現場に一人残されました。
    「助けを呼ばないと……」「でも、人が来たら……」
    暫く考えた後に、ベロニカはその場を立ち去りました。行く宛もなく、ただ何かから逃げるように走り続けました。
    「神様、ごめんなさい、私は取り返しのつかないことをしてしまいました…」
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    彼女は気が付くと、町外れにある教会にまでやってきていました。
    そしてそこで、一枚の貼り紙を目にしました。
    「免罪列車が今夜、サンクタ・サヴィント駅から出発致します。
    この列車に乗車すれば、あなたの背負っている罪は全て赦されます。
    サヴィント様は、いつでも我々に救いの手をのべておられるのです。」
    ベロニカは、藁にもすがる思いでその駅を目指すことにしました。
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    到着すると、駅前の広場には大きな炎が上がって、聖歌隊の声が響き渡っており、駅のホームには真っ白な列車が一つ停まっていました。
    みんな、列車に乗る前に自分の罪を書いた紙を広場の炎で燃やしているようだったので、ベロニカも紙を受け取り、そこへ自分の罪を書きました。
    誰かが落としてしまったのでしょうか。
    ベロニカは道に落ちていた紙に気付いて、それを拾いました。
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    その直後、この紙の持ち主と思しき女性がベロニカの元へ駆け寄ってきて、紙をそそくさと持ち去っていきました。
    ローブで顔こそ見えませんでしたが、いつも何かに追われているようで、俯きがちなあの仕草をベロニカはよく知っているような気がしました。
    ベロニカはどうしてもあの女性のことが気にかかりました。
    なぜなら、あの紙にはこう書かれていたからです。
    「私は我が子を愛することができなかった」
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    ちょうど、列車の出発を告げるベルが鳴り響き始めています。
    扉が閉まり、列車がゆっくりと動き始めても
    ベロニカはまだ、彼女を見つめていました。
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    偶然、彼女とベロニカの目が合いました。
    それと同時に彼女は突然、強く窓を叩いて、まるで心が引き裂かれるような声をあげました。
    「ベロニカ、違う、これは違うの」
    ああ、やっぱり。ベロニカは、そう思いました。
    その後、懐かしい母の声はすべて列車の音に掻き消され、やがて列車も見えなくなりました。
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    「お母さん。あなたの罪は、それが嘘だったとしても、たった一言、その言葉だけですべて赦されたのに。あんな列車になんて、乗る必要もなかった」
    「ああ、ずっと前からわかってた。
    お母さんだろうと、お父さんだろうと、たとえ血が私たちを繋げていても、結局私たちは他人同士なんだ」
    「わかってた、わかってたはずなのに
    どうして私は泣いているんだろう?」
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    暫くするとベロニカは泣くことをやめて、あることを心に決めた。
    「私は、私だけは。
    ちゃんと罪と向き合って、
    そして償おう。」
    そうしてベロニカは警察へ行き、人を殺めてしまったことを告白した。
    その後の警察の捜査によって被害者は一命を取り留めていたことが判明し、ベロニカたちの罪は軽くされたが、彼女の成長過程においての愛情の欠如が指摘され、ひとつの更生プログラムが実行された。
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    ”担当の医師をそれぞれ患者の母親、父親として擬似的な家族関係を形成し、患者の精神的発達の促進と愛情の育成を試みる”
    私はベロニカの担当医に選ばれたものの、それは更生とは名ばかりの限りなく洗脳に近い行為であったために、失敗した際には患者の今後の人生に多大なる悪影響を与えうると反対した。
    しかしその主張が通ることはなく、
    かくして、私は彼女の「母親」になった。
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    「メラニー先生、私はその振りをしていただけで、本当は ずっと前から気が付いていたのかもしれません」
    「あなたがたはまるで、本当の両親であるかのように、私に愛情を注いでくれました。
    だから、私は今とても幸せなはずなのに、時々胸がきゅっと苦しくなる。」
    「どれだけ先生たちが本当の家族だと信じようとしても、あの人によく似た自分の姿が、私の中を流れる血が、それを否定する。どこまで行っても、あの人から私は逃げられない」
    「でも本当は、いつか愛してもらえる日が来るんじゃないか、って、そんな当たり前の風景を、未だに夢見てしまう、そんな自分が一番嫌なんです…」
    真夜中の部屋に、ベロニカの震える声だけが響いていました。
    「ごめん、ごめんね」
    「全部わたしたちの勝手な都合で、あなたを苦しめてしまった。本当に、ごめんなさい」
    「でもね、一つ、これだけは、信じてほしい」
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    「わたしたちは確かに、あなたが夢で言われたように偽りの食卓を囲って、ありもしない家族を演じ合っていたのかもしれない」
    「それでもわたしは、あなたがあの花をくれたとき、本当に嬉しくて、仕方がなかった。たぶん、あの喜びが、わたしたちのすべてだったと思うんだ。」
    「繋がり方に偽りがあったとしても、わたしたちがともに過ごした日々の、どこにも偽りなんてなかった」
    「...ベロニカ、あなたは生まれる場所を選ぶことができなかった。だけど、これから生きてゆく場所は、選ぶことができる。」
    「あなたがそう望んでくれるのなら、ここでもいい。どこだっていい。
    あなたが本当に安心できる場所に、あなたには居てほしい。ベロニカが幸せになることを、わたしはあなたの母として、いちばんに願い続ける。
    …そういうのは、だめかな」
    「だめじゃない、だめじゃないけど、私には、もったいなさすぎるよ」
    ベロニカは震えた声で、でも、少し笑って言いました。
    「それは、わたしも同じ」
    メラニーは、微笑んでそう言いました。
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    「ずっと話してたらなんか、お腹すいちゃったね。こんな時間だけど、何か作っちゃおうか?」
    「それ、ちょうど、私も言おうと思ったところ。」
    そう言うと、早速二人は料理をする準備を始めました。
    食卓の上に、きれいなカーネーションが一輪、花瓶にさされていました。
    それはまるで、ふたりを見守るように、優しい色をしていました。